2010年



ーーー6/1ーーー 検疫の花


 友人が仕事でタイへ行った。ネットに載せて、現地の状況を伝えてくる。ドリアンやマンゴーといった果実の名が出てきて、懐かしかった。私も会社勤めをしていた頃は、よく東南アジアの国へ出張をした。熱帯の果実は、現地で食べるに限る。美味いし安い。それを日本で食べようとするならば、なかなか手に入らないし、入っても高くて不味い。父が生きていた頃、この地のスーパーでドリアンを買ったことがあった。自宅へ戻って切って見たら、とうてい食べられないモノだった。

 友人に頼んで、少し持って帰って貰おうかと思ったが、すぐに諦めた。植物や果実を外国から持ち込むには、入国時に検疫を受けなければならない。その際、果実はほとんど許可されない。没収されてしまうのだ。果実は中に害虫がいても分からないから、そのような処置はやむをえない事だろう。

 検疫と言えば、滑稽な出来事を思い出した。

 バンコクへ出張した時に、現地に滞在していた同僚から、日本への土産はランの花が良いと聞かされた。品質の良いものが安く買えるから、家族への土産に最適だと。旅客機の搭乗員なども、よく買って帰るという話もあった。

 そこで帰路、空港の花屋でランを買った。土産に買う人が多いようで、手際良く箱に詰めてくれた。日本で買えばかなりの金額になりそうなモノが、格安で買えたと記憶している。

 花も検疫を受けなければならない。成田空港で、検疫のカウンターに向った。なるほど、パイロットやスチュワーデスも、ランの箱を抱えて、ぞろぞろとそちらへ進んでいく。しかし、旅行客の数はあまり多くなかった。この手の土産は、日本人旅行者には、まだあまり知られていないようだった。

 カウンターでは、白い手袋をはめた検査官が、花を一本一本取り出して、入念にチェックをする。その作業に時間がかかるので、結構待たされる。列に並んで順番が来るのを待つ。前方の作業の様子を見ると、没収されることはほとんど無いようである。ただ時間を我慢すれば良い。

 ある旅行者の番になった。香港だかシンガポールだかで買った花だと申告をした。検査官は箱の蓋を開けて一、二本手に取ると、「ああ、これはOKです」と言った。私は、「何だ、手抜きじゃないか。どうして特別扱いをするのだ」と思った。しかし、続けて検査官の口から出た言葉で納得をした。

「これは造花ですから」。



ーーー6/8ーーー 行者ニンニク


 昨年知り合いから、行者ニンニクを株で分けてもらった。この春、その株から葉が出た。つまり、年を越して根付いたのである。それを庭で発見した家内は、ちょっと興奮気味だった。

 深田久弥著「日本百名山」の至仏山の項に、行者ニンニクが出てくる。私が行者ニンニクの名を初めて知ったのは、学生時代に触れたその文章だった。

 深田氏が、戦前のある6月、尾瀬ヶ原の一端にある山小屋に泊ったときの下り。

 「夕方、近くで摘んできた行者ニンニクを腹いっぱい食べて、戸外の据え風呂に浸り、素っ裸のまま、長い黄昏を蒼茫と暮れて行く山の姿をいつまでも 眺めていた。大らかな感動であった」

 山の姿とはもちろん、至仏山のことである。

 「日本百名山」の中でも、印象に残る素敵な一文だが、 腹いっぱい食べたという行者ニンニクなる植物が気になった。

 信州に移り住んで、10年以上経ってから、その正体を知ることになった。近所のお寺のお坊様が、山で採れたものを持ってきてくれたのである。そのとき勧められた食べ方が、刻んで醤油に漬け込むものだった。他にもいろいろ食べ方はあるが、私は今でも醤油漬けが一番美味しいと思う。

 地面の近くから一枚づつ葉が出る感じは、身近な植物としてはスズランに似ている。主に葉を食するが、茎も食べられるし、蕾も小さいうちは食べて美味い。ニンニク臭があり、それを理由に嫌う人もいるが、そこが美味さのポイントだから、文句を言っても仕方ない。ところで、行者ニンニクと間違えてスズランを食べ、中毒を起こすケースが稀にあるという。スズランは有毒である。

 画像は、花が咲いたところ。黒い幕は日よけ。日当たりが良過ぎるのは、生育環境として好ましくない。花の様子は、ネギ科のものである。実生から7年ほど経たないと花が咲かないという。生育ペースが遅いので、希少な山菜と言われている。

 さて、前述の深田氏の文章。「近くで摘んできた」というのが面白い。現在の尾瀬は、国立公園特別保護地域であるから、植物を採ることは禁止されている。その当時は、そんな規制が無かったのだろう。「腹いっぱい食べる」ほど摘んだというのだから、豪快である。何の気兼ねも無くそのような事ができたのは、古き良き時代だったということか。









ーーー6/15ーーー 長女の結婚式


 
6月12日、長女の結婚式が行われた。昨年10月のある日、娘から「彼氏を家へ連れて行く」という連絡があり、10月31日に面会してから7ヶ月あまり。1月の結納を挟んで、ずいぶん長い道のりのように感じたが、過ぎてみれば短かった。

 最近は、結婚式や披露宴を簡素化する傾向があるようだ。しかし娘と彼氏は、都心のホテルの式場を借りての、それなりの規模のものを選択した。段取りは全て自分たちでやり、費用も一切を自分で負担するということだから、別に反対する理由も無い。その費用を新しい生活の事に回せば良いのに、などという考えは、自立した生活をしているご両人に対して、余計なおせっかいであろう。

 まず、結婚式。チャペルでのキリスト教式。我が家は限りなく無宗教だが、一応神道である。新郎の方も、おそらくキリスト教では無いだろう。そんな両家の二人が、チャペルで結婚式をするというのは、気難しい事を言うなら、奇妙なことである。しかし、限りなく無宗教に近い我が家としては、そんなことに異を唱える必要も無い。

 式場の扉が開き、娘と手を組んで、中央の通路を祭壇に向かって歩く。しばらく進んだら、一番奥の席で涙をぬぐっている妻の姿を見つけた。それを見たら、急に切なくなり、心が乱れた。

 多少の違和感を想像して臨んだチャペルの式だったが、実際には何の問題も無かった。それよりむしろ、爽やかで、暖かく、楽しい時間だった。牧師さんの暖かい眼差しと、威厳に満ちた言葉が印象的だった。言葉の中に、愛、献身、努力、信頼、誓いといった単語が何度も現れた。それらが全て、一つの高みに向けられた光のような輝きを持って、チャペルの中に響き渡った。娘の結婚式の場で思い巡らすような事では無いが、古いしきたりや習慣から離れつつある現代の若者たちが、キリスト教の結婚式に憧れる気持ちが理解できる気がした。

 続いて披露宴。派手な演出や、度が過ぎたおふざけが無い、落ち着いた、暖かい雰囲気のパーティーだった。ご来賓のお祝辞の中には、自分の子供の事ながら、初めて聞くようなエピソードがあった。数多くの来賓の方々が、二人のそばに寄って楽しげに言葉を交わしていた。新郎、新婦のそれぞれの生い立ちを紹介するビデオ、おそらく多大な手間を掛けて編集したであろう映像が、友人たちの手で作られていた。その上映は、二人にとってサプライズだったそうである。そのような場面に接し、改めて多くの方々のおかげで、現在の二人があるのだということに気づかされ、有難く思い、感謝の気持ちで一杯になった。

 私の母親は、高齢な上に体調を崩しがちな生活を送っていたが、この日のために出来る限りの用心をして過ごし、無事に参列を遂げた。父は4年前に他界したが、生きていたら、どんなに喜んだことだろう。私は、父の形見の万年筆をモーニングの内ポケットに忍ばせて、式に臨んだ。

 余計な出費と思われがちな盛大な披露宴を、あえて行った二人の真意は分からない。しかし、結果として、母にも、妻にも、私にも、最高のプレゼントとなった。私はその事を、心より二人に感謝したい。

 私は、木工家具を製作して販売する事を仕事としている。よくお客様から、「丹精込めた作品(家具)を注文主に納めるのは、娘さんをお嫁に出すような心境ではありませんか」と聞かれることがあった。これまでは、娘を嫁に出した事は無かったから、「さあ、どうでしょうか」などと答えるしかなかった。

 今の私はこう思う。娘を嫁に出すのは、丹精込めた作品をお客様へ納めるようなものだと。

 手間と時間を掛けて、丁寧に、思いを込めて作った作品を、自分の手元に置いて眺めて暮らしたいという気も無くはない。しかし、作品は、それを本当に生かしてくれる人の元に納めるのが相応しい。作品は、それを愛し、慈しんでくれる人の手の中で、新たな価値を持ち、輝きを増し、末永き生命を得る。そうなる事を夢見て、作品は作られるのだ。



ーーー6/22−−− デジカメ遍歴


 デジカメを新しくした。と言っても、息子が使っていたものを貰ったのだから、新品では無い。これでデジカメは3台目である。

 初めて買ったのは10年ほど前。N社の製品で、そこそこの性能、値段のものを手に入れた。他と比べたわけではないが、この機種は使い易かった。ただ、その当時は充電電池の性能が低く、しばらく使うと電池切れになった。そこで、電池2ヶを交替で充電して使っていた。

 カメラ自体の操作性は良く、写りも鮮明で、気に入っていたのだが、数年経って液晶画面が壊れてしまった。N社から修理の見積りを取ったら、新品を買った方が安いくらいの金額だった。それで修理は諦めた。

 2台目はC社のものを買った。どのデジカメでも、私が使う程度の用途なら、性能に大差は無いだろうと勝手に思い込み、比較的安価なものを買った。これは、外れだった。写りが悪いし、操作性も悪かった。写りが悪いと、ひと言で決めつけるのは気の毒かも知れない。綺麗に写ることもあった。しかし、工房内で製品の撮影をすると、写りが悪かった。私としては、それでは困る。

 また、これは私の判断ミスだったと思うが、乾電池式を選んでしまった。理由は、充電するのが面倒だったことと、出先で電池切れしたときに、乾電池なら購入できるから。ところが、市販の乾電池は予想外に寿命が短かかった。毎日せっせと撮影すると、二日くらいしか持たない。乾電池を大量に買うはめになった。そして、使用済みの乾電池が大量に溜まっていった。これは明らかに無駄なこと、環境に悪い事をしているようで、嫌になった。乾電池式だと、本体が大きくなる。その関係か、デザインもダサい。そんなことにも、不快感を抱くようになった。

 今回手に入れたN社のものは、こういうことにうるさい息子が選んだだけあって、性能が良い。また、軽量、コンパクトで、デザインも良い。私にとってデジカメは、単に日常的に使う道具という位置付けだが、やはりデザインが良いと、使っていて楽しい。

 操作性に関しては、初代がN社だったので、今回のものが手に馴染むのは当然かも知れない。それはさておき、前回のC社の機種と比べると、細かいところで差があって、言わば興味深い。

 例を挙げると、今回のものはストロボ発光禁止モードにすると、電源の入り切りをしてもそのモードが維持される。前回のものは、電源を入れるたびにそのモードを設定しなければならなかった。工房内での撮影は三脚を使うので、基本的にストロボは使わない。だから、今回のものの方が使い易い。

 一方、今回のものは、セルフタイマーは1カットごとにセットをしなければならない。前回のものは、電源を切らない限り、連続してセルフタイマーを使えた。セルフタイマーを多用する私には、前回のもののほうが便利だった。また、前回のものは、セルフタイマーのカウントダウンの信号音が出たが、これも気が利いていた。

 他にも、細かい点を挙げればきりが無い。その一つ一つに対する評価は、使う者の好みによるだろう。しかし、設計者には何らかの思惑があったはずだ。設計チームの中で、意見が対立することもあったに違いない。そういう経緯を想像すると、これまた興味深い。設計をする側の物の考え方や価値観が垣間見られるような気がする。

 それにしてもと思う。十数年前まで出回っていたフィルム式のカメラ。もはや大手カメラメーカーも生産を打ち切ったらしい。フィルムを生産していた会社は、別の事業に主力を移している。ごく一部のマニアを除いて、前世紀の遺物となりつつある。

 私も若かった頃は、重い一眼レフを持って山に登った。山での写真はコントラストが付きにくい。だから、なるべく粒子の細かいフィルムを使い、硬調の印画紙を選び、現像・焼付けにもそれなりの工夫をしたものだった。ただし、それはモノクロ写真の場合であって、カラー写真では手の加えようがなかった。現在のデジカメのように、レタッチ・ソフトを用いて、いかようにでも画像処理を行うなどというのは、想像すらできなかった。

 そのフィルムカメラの世界も、思い返せば懐かしい。電子制御など無かったから、どのカメラでも使い方は同じだった。マニュアルを見なければ操作の仕方が分からないという事もなかった。カメラを携行する際に、電池の心配をする必要も無かった。その代わり、誰が撮っても同じように綺麗に撮れるというものではなかった。良い写真は、経験と工夫と偶然によってもたらされたのである。

 今更後戻りをする気も無いが、不便だった昔を、懐かしく、楽しかった事のように思い出す。



ーーー6/29ーーー 才能の確率


 
大学院生の息子が、安曇野市の母校中学校で、二週間に渡り教育実習を行った。

 本来の目的である学科の実習に関しては、まあいろいろあったようだが、ここでは触れないでおこう。それ以外の事で、興味深い話があったので、ここに紹介したいと思う。

 学科の授業とは別に、週に一回地域の住民を講師に頼み、様々なテーマに分かれて学習をする時間がある。茶道、写真、そば打ち、俳句など、メニューは40種類以上。その中に、囲碁・将棋というのがある。息子は大学で囲碁部に所属し、6段ほどの腕前がある。そこで、囲碁のクラスを見ることになった。

 1年から3年まで、合計25人の生徒が参加していた。まだ3回目というから、ようやくルールが分かりかけてきた段階だろう。六路盤という、線が6本しかないミニサイズの碁盤を使って指導をする。指導をするのは、地域に住んでいる年配の男性。息子は補助的に生徒の間を見て回る。

 生徒どうしを対局させると、ほとんどの生徒は低レベルなやり取りに終始する。そして、他愛も無い勝ち負けではしゃいだりする。それはそれで構わない。みんな初心者であるし、そもそも囲碁に特別の思い入れがあるわけでもないだろう。たまたまちょっと興味を持ったから参加したという程度の動機かも知れない。楽しく囲碁に親しんでくれれば、それで良しとすべきである。 

 息子は、生徒の対局を見渡しているうちに、二人だけ「これは」という生徒がいることに気が付いた。二人とも一年生で、坊主頭だから野球部だろう。聞いてみたら、囲碁を教わったのは、この講座が初めてという。それなのに、特別な上手さが感じられた。見るからに勉強が出来そうな3年生もいたのだが、それよりよほど上手い。試しにその二人を対局させてみた。すると驚いたことに、六路盤ながら、ちゃんと囲碁になっていたという。

 どういうところが他の生徒と違うのかと息子に聞いたら、まず良く考えるという。そして、自分の手に対する相手の反応を予測して打つ。しかも、対局の展開に関するセンスがある。ほとんどの生徒が、行き当たりばったりの手を打つのに対して、この二人だけは囲碁の本質を見抜いているかのような打ち方だったと。

 「優れた才能というものは、ある確率で存在するものだと、改めて驚かされた」と息子は言った。さらに、この二人なら、少し気を入れて勉強すれば、一年以内に初段を取る事も可能だろうと予想した。しかし、と言う。おそらくこの二人は、現在手を染めている部活にかまけて、囲碁のことなど忘れてしまうのだろうと。優れた才能は、本人が認識しないまま、埋もれてしまうのかも知れない。

 才能というと、また一つ余計な事を思い出した。

 やはり息子が教育課程で、大学の地元大阪で小学校の授業を参観したときのこと。

 2年生のクラスに、一人だけ雰囲気の違う子がいた。大人しいのだが、独特の存在感がある。たまたまその子が何かをして、担任の女性教師が注意をした。するとその子は、何も言わずにジロっと教師を見返した。その態度に何とも言えない凄みがあり、教師は気おされた様子で、黙って引き下がってしまったという。たかが小学2年生なのに、である。「すごい奴がいたものだ」と息子は語った。










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